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英雄。11

―終わりの予兆はどこにあったのだろうか。
暗闇の中、遠くに見える炎と煙を呆然と見つめながら、リーンは思う。
あの場所には確かにあった筈だ、美しい国が。祖先が創り、父と母が守り、リーンが継いだ国が。
それがたった一夜にして、炎と煙に包まれた地獄に変貌するなど、誰が想像しただろうか?
風と共に聞こえて来る喧噪から逃れるようにリーンは耳を塞ぎ、うずくまった。
「こんなのは…夢だ…こんな事…ある筈が無い…」
ただただ、現実から逃げる様にリーンはそう呟く。
「こんな…こんな物の為に…!!」
右手にある'それ'をリーンは恨めしそうに強く握りしめる。
リーンの国には代々伝わってる国宝があった。
色は一切の濁りも淀みも無い、済んだ赤透明。そして形は一切の歪みがない球体。
狂気すらも感じる美しいその宝石は、人を魅了するには十分すぎる代物だろう。
だが…こんな小さな物の為に、こんなただの宝石の為に、自分の国は、民は…
「こんな物が一体何だっていうんだ!!!!!!!!!!!!!」
感情を抑えきれず、リーンはそう絶叫する。
'敵'は確かに、これを狙って自分たちの国へ攻めてきた。だからリーンは、これを持ってここまで逃げてきた。
本当は逃げたくは無かった。だが、友は言った。『皇が死んだら一体だれがこの国を治めるんだい?』と。
しかし、この状況になって思う。皇が生きていても、民が存在しない国に一体何の価値があるのか?と。
やっぱり、逃げるのでは無かった。たとえ死ぬ事になったとしても、最後まで民と共に、国と共にいるべきだった。
「あああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
死に場所すら失ってしまったリーンは、狂ったようにそう叫ぶ。
一体どうしてこうなった?敵国が攻めて来たから?どうして攻めて来た?
狂いそうな思考では、その答えはまとまらない。だが、これだけは言える。
こんな物さえ無かったら、こんな事にはならなかった筈だ。
何が国宝だ。ただ綺麗なだけのただの石じゃないか。
「こんな物!!!!!!!!!!!」
そして手に持った国宝を、守る為に持ってきた宝石を、全てを失う原因にもなった石を…地に叩きつけようとしたその時。
リーンの腹部に突如として鋭い痛みが走った。
「グァッ!?カッ…」
声にならない悲鳴を上げてその場にうずくまり、リーンは腹部に手を当てた。
湿り気を感じる、それも尋常では無いほどの。腹部から湧き水のように何か噴出している。
「あ…」
血だった。
(撃たれ…た…?なんで…?)
朦朧としはじめる意識の中でリーンはそんな事を考えていた。
しかしそれは考えるまでも無い。敵の目的の物を持って逃亡し、あのような絶叫を上げていれば気付かれない方がおかしな話だ。
だが、今のリーンにはそんな単純な答えにたどり着くことすらできなかった。ただ、理解できるのは溢れ出る赤の量。即ち、自身の死が近いという事だけだ。
(死…あぁ…でも…これでよかったんだ…)
もう、これ以上生きていても仕方がない。
国と民と共に自分も死のう。それで綺麗に収まる。でも…
(…こんなの…おか…し…い…)
そう思った所で、遠くからまた一つ弾けるような音が響き、鋼鉄は的確にリーンの心臓を穿いた。
それと同じくして、リーンの僅かに残っていた意識もそこで途切れた。

それから間もなくして、大木の上から影が一つ躍り出た。
顔はフードで隠れ、その表情は解らない。だが、眼前にある俯せに倒せた人間の姿を見て頷いた所を見ると、恐らく満足気な表情をしているのだろうと予想できる。
「雉も鳴かずば撃たれまい、とはよく言ったもんだな。」
そうひとりごちて、その人物はリーンの元へと近づき、その首筋へと指を添えた。
脈は感じない。確実に死んでいる。
それを確認し、今度は何かを握っているリーンの手を掴み、硬直しているその指を強引に開かせ、中から球体を取り出した。
―美しい。
それを見て、彼が思った率直な感想はそれだった。
―だが、それだけだ。
しかし、同時に湧き出た感情はこうだ。
こんな宝石の為が、国一つ滅ぼすほどの価値があるのだろうか?これは。
摘まんだ宝石の角度を変えながら、男は思案する。
だが、数秒ほど考えた所で男は首を振って思案を打ち切る。
「…俺には関係ないな。」
自分所詮、雇われただけの傭兵に過ぎない。
ターゲットの死亡を確認、そして目的の物の取得。
これで一生困らない程の大金が手に入るのだ。これ以上の詮索は無用だ。
―しかし、こんな小国に戦いを仕掛けるのにわざわざ傭兵を雇うのも、おかしな話だ。
戦うだけならば、雇い主の国の兵士だけで十分すぎるほど勝機はある。
実際、自分がやっていたのは戦いには直接参加せず、国の周辺の森に潜んで逃亡しようとした者を迎え撃っていただけ。
そんな人間が自分だけではなく何人も配置されている。
この国の人間を一人も残さず殺戮したかったのか、或いは…余程、この宝石を手にしたかったのか…
と、自分で言った傍から早速こんな思案をする自分に男は呆れたように苦笑した。
ともあれ、任務は完了した。後はこれを届けるだけだ。
そう思い、死体に背を向けて歩き出した瞬間、男の手の中の宝石に異変が発生した。
「なんだ…?」
宝石が突如として眩い光を放ち始めたのだ。
光は、段々と大きくなっていき、間もなく、目も明けられない程強い光を発し始めた。
―何だ?何が起きている!?
確認しようにも目を開けることができない。解るのは目を閉じても解るほど光が強く、激しく発生している事だけ。
しかし、それもそう長くは続かなかった。宝石は、やがて自分の光に耐えきれなくなったかの様に。
音を立てて、粉々に砕け散った。
強い光もそれと同時に消え、男はおそるおそる目を開ける。
「なっ!?」
目を開けると、粉々に砕け散った宝石があった。
驚いたのはそれだけではない。飛散した欠片は宙を舞って、一向に地に落ちる気配が無い。
まるで何かを探すように、その欠片は宙を舞い続けている。
己の光は失せたが、粉々になった欠片は月の光を反射して煌めき続けていた。
何故?どうして?突然の事に、男の思考は追いつかない。だが、確かに言えるのは、それが男がこれまで見て来た光景の何よりも美しいという事だけだった。
時が止まってしまったかの様な感覚に男は陥っていたが、やがて宝石だった物に変化が生じた。
欠片が動きを止めたのだ。
そして、それは…傍に転がる死体に向かって収束し―

「ッ!!!!!!!!!!!!!!!!?」
声にならない叫び声をあげ、リーンは目を覚ました。
呼吸は荒く、鼓動は聞こえてきそうな程高鳴っている。
今いるこの場所は、まだあの夢の続きなのでは無いかと警戒するようにリーンは周囲を見回したが…間もなく、ここは夢の続きでは無いと理解し、落ち着くように大きく息を付いた。
「…最悪だ。」
先ほどまで見ていた悪夢を思い起こし、リーンは微かな声で呟く。
あの夢は…初めて滅んだ日の夢だろう。そして、あの日が引き金になって…
そう考えていく内に、リーンの中で一つ疑問が思い浮かんだ。
「…僕は何をしてるんだ…こんな所で…」
父が残してくれた形見である剣。それが奪われた。何としても取り返さなければならない。
取り返して…取り返して…どうするのだろう?
リーンは、自分自身に生きようとする意志がもう無いという事は解っていた。
きっと、剣を取り返したその後は…死ねないこの身が朽ちる場所を探しに行くだけだろう。
だとするのならば、剣を取り返す事に意味はあるのか?
そもそも、国を救えなかった人間にあの剣を持つ資格はあるのか?
ならば―。
と、そこまで考えた所でリーンは思考を振り払うかのように大きく頭を振った。
『自分のこの先がどうであろうがどうだっていい。あれは…あの剣は僕の物なんだ。』
それが他人の手に渡り振るわれ、汚されていくのは我慢ならない。意味や資格もどうだっていい。
リーンがこの剣に固執する理由は、'皇'としてではなく、父の'息子'としての純粋な気持ちから来るものだった。
尊敬し、敬愛する父が残してくれた、たった一つの私物。それに固執するのは息子として当然な事だろう。
「絶対に取り返す。」
決意を固めるようにリーンはそう呟き。新しい自分の剣を腰に提げた。

部屋を出て食堂へとつながる階段を下りると、やはり女はここにいた。
食堂に居る。といった伝言を聞いたわけでは無いが、ここ数日の間はリーンが目を覚ましたタイミングでこの女は必ず食堂にいる。
そして、やはりそれは今日も変わらない様だった。
女は椅子に腰を掛け、新聞を読んでいるようだった。
どのような内容なのかは解らないが、時折軽く頷くような動作をしてみせている。どうやら興味を惹く記事が書かれていたようだ。
遠目からでも見て解るそんな女の様子にリーンは様々な感情が込められた溜息を一つつき、女の元へと歩き出した。
そして女も、テーブルに置かれたカップに手を伸ばした所で自分の方へと向かってくるリーンの姿に気付き、笑みを浮かべた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「…。」
先ほど見ていた悪夢を引きづっている事もあり、特に他意は無いであろう女の質問がリーンは皮肉に聞こえ、少し不機嫌そうに鼻を鳴らして椅子に座った。
まぁ、眠った時間で言えば長い方なのでよく眠れた事は間違いないが、少なくとも目覚めは最悪だった。
「昨日の剣はどうですか?扱えそうですか?」
「…問題は無い。」
剣とは、もちろん昨日この女に買ってもらった剣の事だ。
あれから宿屋に戻った後、部屋の中で抜刀し軽く素振りをしてみた所、扱う分には問題無さそうだった。
それでも、今まで当たり前のように使ってきた剣と比べると明らかに重いと感じてしまうのだが…
「そうですか。ではとりあえず…朝食にしましょうか。」
女はそう言うと、テーブルに置かれたベルを軽く鳴らした。


朝食を食べ終えて30分ほど経った後、二人は宿屋を後にした。
今の現在地はヘネシスの町へ来る際に通った旧道…から更に外れた森の中だった。
旧道自体、人通りがあまり無いという事もあり道の舗装等はされている訳では無かったが、生い茂る草の中ある、剥き出しになった土が「通るべき道」を示していた。
だが、その道から外れた森の中は通るべき道も何も無かった。ただただ歩き辛く、時折水気を帯びた草に肌が触れる感覚が不愉快でたまらない。
下手を打てば戻ってくることすらできなくなりそうな場所だったが、女は迷う素振りも無くしっかりとした足取りで進んでいく。
こんな所の先に何があるのか。いい加減文句を言いたくなったリーンの気持ちを察したかの様に女は言った。
「旧道は人通りが少ないという話はしましたよね。なら、そんな道から更に外れた森の中はどうだと思いますか?」
「…誰も通らないに決まっている。」
「そういう事です。誰も通らないから大きな声を上げても気付く人はいませんし、何より…」
そこまで言った所で女は動きを止めた。後ろを歩いていたリーンが少し遅れて女の隣へ立つと、先ほどまでの鬱蒼した森の中にあるとは思えないような開けた場所があった。
「こういったあまり知られていない、うってつけの場所があったりするのですよ。」
確かに、これから行う事…すなわち決闘をするに置いてはこれ以上ない場所だろう。だがしかし…
『森の中にこんな場所があるとは…自然にできた物とは考えにくいよな…』
明らかに人の手が入っている。だが何の為に?
リーンが立ち止まってそんな事を考えていると、女はすたすたと歩き始めた。
「先ほども言いましたが…ここに近づく人は滅多にいません。叫び声をあげても誰も気付く事はありません。」
1歩、2歩、ゆっくりと歩きながら女はそう口にする。
口調こそは普段と変わらないが、そこにやや力が籠り始めてることにリーンは気付き、身構えた。
「…それから、もし仮にここに死体が一つ転がったとしても、数日の間は誰にも気付かれる事は無いでしょう。」
2人の間に静寂が訪れる。
遠くからは流れる川の音、近くからは長閑な小鳥の囀りが聞こえてくるが、2人の耳には恐らくそれは届いていない。
強い風が一つ吹いた。
木々を揺らし、それに驚いた小鳥達が一斉に飛び立つ。
周囲が一瞬にして騒がしくなったが、そのざわめきも長くは続かない。風が止んだ時、周囲から一切の音は消えた。
それを合図にしたかの様に女は、振り返る。
「遠慮は無用。殺す気で来なさい。」
振り返った女の顔にいつもの笑みは無かった。
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| 小話 | 17:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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英雄。10

―次の日。
今日も同じように宿屋で朝食を取り、どさくさに紛れて剣を取り返そうとし…案の定それは失敗に終わり…2人は宿屋を後にして、ヘネシスの武器屋に訪れていた。
数々の剣や槍が立ち並ぶこの武器屋は確かに、女が言っていた通り品揃えがいい店だった。
だが、そんな場所で不満ありげに言葉を零す人間が一人。

「…本当にこれより軽い剣は無いのか?」
「馬鹿言っちゃいけねぇよ坊主。棒切れを振り回すのとは訳が違うんだぞ?」
「しかし…」
少し震えた手で剣を持ったリーンは、不満げにそう口にした。
「しかしもクソもあるものか!あー…アンタ、保護者の人だろ?悪いが、この程度の重さに音を上げるような坊主にゃまだ剣は早いと思うんだがねぇ?」
「なっ!ふざけ…」
明らかに小馬鹿にした店主の態度にリーンは思わず、大声で異を唱えそうになったが…女はその口を封じるようにリーンの前にスっと移動した。
「そうですねぇ…」
そう言って、女はリーンが手にしていた剣を軽々と片手で持ちあげて見せた。
「これ以上に軽い剣となると、確かになかなか難しいでしょう。」
「お前まで…!だって、僕のけんぐぅっ!!!」
再び大声を上げそうになったリーンの口を、女は今度は本当に塞いで見せた。
「すみません、すみません。」と、つい先日も見た困り顔も付けて。
「難しいですが…それはあくまで鉄製ならば、でしょう?」
柔和な笑みを見せながら女が言ったその一言は、武器屋の店主の肩眉を吊り上がらせた。
「…ミスリル製の武器ならって言いたいのかい?ハッ…こんな坊主にそんな大層なもんを買おうってのかい?」
「えぇ、本人がもっと軽い物を望んでいるようですからね。」
女は笑みを崩さぬまま、そう言った。
「勿論、ミスリル製の剣はあるにはある。だが、それがどんだけ価値があるかアンタなら解るだろ?」
「そうですねぇ…なかなか加工が難しい素材ですからね。まぁ、でも。」
そこまで言って、女は懐から美しい光沢を放つ、丸い物を4枚ほど取り出した。
「これぐらいのメルなら出せますが?」
「…驚いたな。アンタ、随分金持ちじゃねぇか。」
ただの旅人にしか見えない彼女がこれほどの大金を持っているとは、予想だにしていなかったのだろう。なるべく平静を装うように、店主は短くそう答えた。
そんな彼の様子を見てリーンは思考をする。
『あの金属…たぶんお金、なんだよな?あんな貨幣見たこと無いが…それに、メル?』
先ほどから店主と女の間で当然のように話が進んでいるが…そのどれもが、いまいちリーンはピンと来ない。
この女が出した光沢のある金属。それは恐らく通貨なのだろう…そして、メルは恐らく通貨の単位。
『…ここが自分の国からずいぶん離れた所にあるというのは、なんとなく理解していたが…あんな通貨を使ってる国あったか…?』
仮にも、1国の皇をやっていたリーンは、各国の通貨等はそれなりに理解しているつもりだ。
無論、世界中全ての国と交流がある訳じゃ無かったため、全てを知っている。と、言うつもりは無いが…まさか今になって自分が見たことも聞いた事も無い通貨が存在するとは思いもよらなかったのだ。
「金があるなら勿論売ってやるさ。…坊主、こいつを持ってみろ。落とすなよ?」
「え?あ、あぁ…」
そんなリーンの内心の困惑を無視するように、店主は一振りの剣をリーンに差し出した。
先ほどまで持っていた剣と比べて、かなり軽い。素材一つでここまで変わるのかとリーンは驚いた。だが…
『まだ、重いな…』
父の形見。即ち、自分が愛用していた剣。今は、この女が手にしている剣。それと比べるとまだ、この剣は重い。
もっと軽い物は…と、言いかけた時、リーンの持っていた剣はひょいと女に奪われた。
「これは…随分軽いですね。ここまでの剣は中々見つけられないでしょうね。」
「あったりめぇだ。コイツぁ家にある武器の中じゃ極上の一品さ…素人が使うにはもったいないぐらいのな。」
「…これ以上に軽い剣を探すのは間違いなく難しいでしょう。どうですか?気に入りましたか?」
まるで、リーンの思考を読んでいるかのように、女はそう彼に告げた。
「…あぁ、これでいい。」
そして、そう言われてしまった以上、リーンはそう言わざるを得なかった。
重いには重いが…これぐらいならまだ自分が扱える範囲なのは間違いない。そう自分に言い聞かせて。
「値段は白銀貨4枚だ。…だが、本当にいいんだな?言っちゃ悪いが子供のオモチャにするにゃいささか高い気がするがねぇ…」
「えぇ、問題ありません。それに、オモチャにさせるつもりはありませんのでご心配無く。」
「そうかい…まぁ、金が貰えるってのにとやかく言うのは野暮ってもんか…おい、坊主。」
「え?な、なんだ。」
「ほら、受け取れ。」
店主はぶっきらぼうにそう言って、リーンに剣を横向きにして突き付けた。
少し戸惑ったが、リーンはそれを受け取り腰へと提げる。
「ちゃんとこの姉ちゃんに礼を言えよ。それから、絶対にこの剣を無駄にするような真似すんじゃねぇぞ。」
「…あぁ。」
若干、不貞腐れたようにリーンはそう言った。
「それでは行きましょうか。お騒がせしてすみませんね。」
会計を済ませた女は、また柔和な笑みを浮かべて店主に会釈をし、リーンと共に店を後にした。

「…礼は言わんぞ。」
店を出て開口一番にリーンはそう言った。
「礼を要求するつもりはありませんよ。私が自分で決めた事ですからね。」
「ふん…」
飄々とした様子であっさり答える女にリーンは鼻を鳴らす。
その内心は『盗人の癖に…』という気持ちで一杯だった。そう、元はと言えばこの女が自分の剣を盗んだのが悪い。
悪いはずなのに…リーンの胸中には少しモヤモヤとした物が残っていた。
「それより、もう一軒行きたい店があるのですが、いいでしょうか?」
「行きたい店?…好きにしろ。」
「そう来なくては。さ、行きましょう」
そう言うと、女は少しだけ速足に歩きだした。
数分後、リーンは自分の迂闊な発言を後悔する事になる。

「わぁ…これも中々似合いますね…んー、店員さんこれ、どう思います?」
「え、えぇ…よくお似合い…ですね…」
「…。」
女が行きたいと言っていた店はどうやら服屋だったらしい。
最初は女が欲しい服でもあるのか、とリーンは思っていたが…どうやらそれは違ったらしく、リーンの為に服も買ってやるという事だった。
最初は面倒だった事もあり、リーンは断ったが、女の勢いに押し切られてしまった。事実、リーンの着ていた服は所々穴は開いているしボロボロだった。
道を歩く時は女が手渡してきた上着を着ていた事もあってそれほど目立ちはしなかったが、それでもみすぼらしい恰好である事に変わりは無い。
だが…いざ、服を選び始めると…
「あ、でもこっちの服も中々似合いそうですね。このズボンと組み合わせれば…」
そう言って女が手に持ったのは赤を基調にしたチェック柄の服と濃い緑色をしたズボン。リーンからして見れば、この組み合わせはハッキリいって論外な物だ。
どうやらこの女、色彩の感覚が常人のそれとはかなりかけ離れているようだった…始めはリーン自身の感覚がおかしいのかと思っていたが、店員の反応を見る限りそれは無いようだ。
とにかく、先ほどから何回も服を持ってきては脱がせ、持ってきては脱がせ…とやっていたが、その悉くがリーンが不快に思うような色の組み合わせの服をピンポイントで持ってきていた。
「…。」
もう何かを言うのも疲れたリーンは、放心したような顔で店員の顔を見た。
そんな様子を見て哀れに終わったのだろう、店員は女にそっと声を掛けた。
「お客様が選ぶ服ももちろん素晴らしいと思うのですが…やっぱりここは着る方に選んでもらうのはいかがでしょうか?」
「んー…まぁ、そうですね…色々な組み合わせは思い浮かんでるのですけど、このままじゃいつまで経っても決まらないですよねぇ…貴方、どれか気にいった服はありましたか?」
『色々な組み合わせって…こんなゲテモナな組み合わせが、まだ思い浮かんでいるのかよ!冗談じゃ無いぞ…』
この女に服を選ばせるのは危険だ。それだけは理解したが彼自身は別に服に拘りがある方では無い。
国にいた時は皇としてそれなりの服は着ていたが、基本的には「見れる程度の物ならなんでもいい」というのがリーンの服に対する考え方だ。
少しばかり辺りを見渡しても、すぐに選べそうに無いと悟ったリーンは店員にこう告げた。
「あー…そうだな…えーと、店員さん…すまないが僕の背丈に似合いそうな服を適当に見繕ってもらえないだろうか?」
「かしこまりました。少々お待ちを。」

少し待った後、店員が持ってきた服は青いジーンズに白いTシャツ、それと黒のカーディガンの3着だった。
派手すぎず、地味すぎず…それでいて思ったより動きやすい服にリーンは驚いた。
「最近の若い冒険家の方にも人気な組み合わせなんですよ。魔物との戦闘にも耐えうるよう、丈夫且つ動きやすい生地でできています。」
「へぇ…これは確かにいいな……うん、これがいい。」
「ありがとうございます。」と、店員は言ってみせたが、ふと女の方を見ると少々気に入らないといった様子でこちらを見ていた。
「本当にそれでいいのですか?…誰かに選んでもらうぐらいなら私が選ん…」
「あー本当に!本当にこれで大丈夫だ!これが気に入ったんだ!」
これ以上ややこしい事になる前に、女の言葉を遮ってリーンはそうヤケクソ気味に言った。
その大声に女は少し気圧されたような様子を見せたが、すぐに苦笑した。
「解りました。すいませんじゃあこの服をお願いします。それから、このまま着て行ってよろしいですかね?」
「えぇ、大丈夫です。えーと、服が3点で…料金は2万メルとなります。」
値段を聞いた女は財布の中から銀貨4枚を取り出し、それを店員に渡した。
「ありがとうございました。」と、店員が頭を下げ…た瞬間、女は「あっ!」と声を上げた。
「これ!この帽子いいじゃないですか!」
そう言って女は壁に掛けたあった帽子を一つ手に取った。
青が基調でつばは黒。そして、大きく「H」と刺繍がされている帽子だった。
「ほら、今の服装とも合いますし。」
そう言って、女はリーンに帽子をそっと被せた。
帽子を被らされたリーンは鏡で自分の姿を確認したが…小奇麗なこの服装に合ってるとは思わなかった。
だが…
「ね?いいでしょう?」
「…あぁ。」
そう満面の笑みで言って見せる女を見て、何も言い返す事はできなかった。
そして、にこやかな笑みのまま会計の続きをする女の背中を見て、リーンはハァ、と大きくため息を一つ。
『まぁ、ゴチャゴチャいって下手なもん着せられるよりはいいか…まだ、見られるレベルではあるしな…』
リーンは少しでも見栄えが良くなるよう帽子を横向きにし、そう思った。

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英雄。9

―父と母が急逝して、今日で丁度1週間。
ファレンス皇国の皇帝と皇妃が同時に失われたこの悲劇は、当然ながら民にも衝撃的な報せだった。
事故、だった。皇と皇妃が隣国へ出向いたその帰り道、二人を乗せた馬車が崖から落下した。文字に起こせばたったこれだけの話だが、それが起こした騒乱は筆舌尽くし難い物だった。
嵐のようなこの一週間だったが、今日になってようやく少し落ち着きの様な物が見え始め、リーンは漸く、こうして落ち着いて父と母の墓前にやってくる事ができたのだった。
『ファレンス皇国を愛し、民を愛し、そしてファレンス皇国に愛され、民に愛された偉大な者達に安からな眠りを。』
そう刻まれた墓石に手を当てて、リーンは祈りながら目を閉じた。
「父上、母上。この国は僕が、必ず…」
言葉を言い終える前に、リーンは口を紡ぐ。
『真なる決意は口にすれば軽くなる。』
父によく言われた言葉、それを思い出したからだ。
(行こう…明日からはもっと忙しくなる。)
閉じた目を開いて、振り返ると少し離れた所に青年が一人立っていた。
「カノン。」
カノンと呼ばれた青年は、軽く手を上げた。…その表情は複雑な物だった。
リーンに対して、どう接すればいいのか、どう声を掛けるのが正解なのか解りかねているようにも見える。
「もう、いいのかい?」
カノンはリーンにそう優しく声を掛けた。
「あぁ、大丈夫だ…。」
「…君の父上と母上…いや、陛下と皇妃様の事は、本当に…残念だった。」
まるで自分の父と母の事のように、悲しそうにカノンはそう言った。
心の底から自分を想ってくれている彼を安心させるように、リーンは首を横に振った。
「本当に大丈夫だよ。…それに、明日から忙しくなるんだ。いつまでもこうしては居られないよ。」
「そっか。じゃあ、もうリーンは正式に皇帝陛下になるんだね。」
「だからって、'陛下'だなんて堅苦しい呼び方、お前はしないでくれよ?」
リーンはそう言って軽く苦笑した。それを見て、カノンも少し安堵し、同じように苦笑して見せた。
カノンはリーンの幼い頃からの友…親友と呼べる存在だった。
生まれも、身分も全く違う二人だが、そういった物を一切感じさせない'距離'が二人の間にはあった。
「明日、戴冠式が行われる。それで僕は正式に皇帝になる…でも、お前にはこれまでと同じように僕の友でいて欲しい。」
「勿論だよ、リーン。」
少しばかり、頬を紅潮させてそう言ったリーンに、カノンは優しく微笑みながら言った。
先ほどのような苦笑では無く、優しい、本当に優しい微笑みだ。
根っからの善人で無いと、きっとこのような表情は作れないだろう。リーンはそう思う。
「それで…だな、お前さえよければ明日から僕の専属の執事になって貰いたいと思ってるんだが……って、たった今言った事と矛盾してるか…?これは。」
「ははっ、執事として、だけどそれ以前に友として。って事かい?」
「そう、そんな感じだ。…どうだろう?」
「うん、僕でよければ。喜んで力になるよ。」
悩む素振りも見せず、カノンはそう答えた。
それを聞いて、リーンは安堵したのか、少し声を張り上げ、言う。
「…よかった!有難う、カノン。」
正直、これから先の事を思うと、リーンは不安で心が押し潰されそうだった。
だがそれでも、友が傍にいるならきっとどうにかなる。気休めでしか無いかもしれないが、その気休めがとてつもなく愛おしい。
「リーン。一つだけ、いいかい?」
消沈していた友が少し元気を取り戻してくれて嬉しい…嬉しいのだが。
カノンは一つだけ気掛かりな事があった。
「君は…泣かないのかい?」
「…。」
言われてみれば、リーンは父と母が亡くなったにもかかわらず、全く涙を流していなかった。
いや、そう言うより…
「泣いている時間なんて、無いよ。」
父と母が、皇と皇妃が亡くなったという事は次の皇は自分だ。
涙を流している場合なんかじゃない、そんな姿を見せれば民を不安にさせるだけ。
そう直感していたのだろう、だからここまで涙を流す事は無かった。
「君が考えている事は解っているつもりだよ。でも、せめて僕の前でぐらい…そういう姿を見せてくれてもいいんだよ?」
「カノン…」
「リーンの考えている事は本当に立派だよ。でも、涙を見せない強さは諸刃の剣でもあると思うんだ。感情を封じ込めれば…その内に心まで封じ込めてしまう、そんな気がするんだ。」
自分の事を本当に真摯に考えてくれている、その気持ちが痛いほどリーンに伝わってくる。
だが、それでも。
「…でも、僕が悲しい時はお前が泣いてくれるんだろう?」
そう言われて、カノンは自分の瞳から涙が溢れている事に気が付き、それを指で拭いた。
それを見て、リーンはそっと微笑む。
「なら、大丈夫さ…行こう、カノン。」
例え、涙を流せなくなったとしても。自分の為に涙を流してくれる友が傍に居てくれるなら。
きっと、きっと大丈―




「ッ!?」
飛び起きる。日はとっくに落ちており、周囲は闇で覆われていた。
「夢…か。」
リーンはそっと溜息を付く。
いっそあれが夢では無く現実ならば…そう思った瞬間にリーンは首を振り考えるのをやめた。
(結局、何も変わりはしない…)
それはもう解りきっている事だ。だって、何度もやってきた事なのだから。
「ィツツ…」
ベッドから起き上がろうとした時、腰の辺りに痛みを覚える。
その痛みでぼんやりとしていたリーンの思考は徐々にクリアな物へとなっていった。
(確か…森に入って…魔物に襲われて…)
あの、女に思い切り蹴飛ばされた。尤も、それは自分に飛び掛かる魔物から守る為だったのだが。
複数の魔物に囲まれていた筈だったが、女はそれをあっという間に蹴散らし、何事も無かったように自分の元に来たのはなんとなく覚えてはいるが…
そこから先の事は疲れと痛みであまり覚えていない。
いつここに来て、いつから眠っていたのかもいくら思い返してみてもサッパリだった。
それから少し間を空けて、リーンは、ハァと大きく溜息を付いた。
冷静になって考えてみると…正直、女から剣を取り返すのは難しいのでは無いかと思い始めたからだ。
森の中で、どれだけ必死に飛びかかってもリーンの手は剣どころか、女の体にすら触れる事ができなかった。
女だから、と決して手は抜いていない。全力で飛び掛かったり、緩急を付けたり、フェイントを入れてみたりと自分ができうる事をやったつもりだ。
だが、それでも届かなかった。それどころか汗一つ女は流していなかったでは無いか。
(力づくで取り返そうとしても無理、か…)
そう思い至り、リーンはまたしても溜息を付いた。
(そういえば、昔似たような事があったな…)
かなり昔の話、リーンがまだ10歳にも満たない子供の頃の話だ。
皇族出身であるにもかかわわず…いや、寧ろ皇族出身だったからだろう、リーンは学校で嫌がらせを受けていた時期があった。
皇の子供に嫌がらせ等、大人からすれば考えられない事だが、年端のいかない子供にそんなものは通用しない。
確か、その日は体格の大きい子供に自分の筆記用具を盗られたのだったか…確かそんな理由だった気がする。
そして、リーンは何を思ったかその子供にこう言い放ったのだった。
『お前に決闘を申し込む!!』
と。そう言った時にカノンの驚いた顔だけは今でもよく覚えている。全力でそれを止めていた事も。
それから棒きれを手に取ってその子と決闘…という名の喧嘩が始まって…体中傷だらけになって何とかそれを取り戻したのだった。
(あの後が確か大変だったんだよなぁ…向こうの両親が父上に打ち首覚悟で謝罪に来て…僕は僕で父上に『私情で民に手を出すとは何事か!!』と叱られて…)
今にして思えば、あの時カノンが止めていたのはこうなる事が解っていたからだったのではないだろうか?と、今更になって友の真意を理解した。
懐かしい記憶にふっと、笑みが零れそうになった瞬間、
(そうか!)
リーンは何かを思い立ち、体の痛みも忘れて部屋から飛び出した。

「はぁ…決闘、ですか。」
「そうだ。」
場所は変わって女が休んでいた宿屋の一室にリーンはやって来た。…やって来たというより廊下で『何処だ!いるんだろう!?』と騒ぎ立てるリーンを慌てて女が部屋に連れ込んだというのが正しいが…閑話休題。
「決闘というからには武器を使って、という事ですよね?貴方、他に武器があるのですか?」
「そんな物は無い。だから僕に武器をよこせ。」
当たり前の様にリーンは女にそう言った。
そんな尊大なリーンの態度に女は何とも言えない表情をして見せた。
「言っておきますが、この武器は渡しませんよ。」
そう言って、女は腰に提げているリーンの剣にそっと手で触れた。
まぁ、そんな事は言われずとも解っていた話だ。
「別にその剣じゃなくてもいい、なんでもいいから僕に剣をよこせ。それで構わない。」
「ふーむ…」
決闘を申し込み、挙句の果てには武器はそっちが用意しろというリーンの言い分は支離滅裂だ。
だが…リーンのその表情を見て、女はそっと笑みを浮かべた。
「解りました。なら明日は武器屋に行きましょう。幸い、ヘネシスは栄えている町です。きっといい物もあるでしょう。…ちなみに貴方、剣の腕に覚えがあるのですか?」
「当然だ。」
力強くリーンはそう答える。実際、皇族の教育の一環として剣技は昔から叩き込まれている。
だからこそ、リーンは剣を持った逃げ場の無い1対1の戦いなら勝機があるのでは無いか、と踏んだのだから。
「よろしい。では、明日の朝…朝食を食べた後に武器屋へ行きましょう。」
「あぁ、分かった。…逃げるなよ?」
「ご心配無く。決闘から逃げるのは剣士の恥ですからね。」
「…盗人風情がよく言う。」
そう言われ、女はハハハと軽く笑って見せた。
その様子を見て、リーンは小さく鼻を鳴らし、そのまま部屋を後にした。
「…少し、表情が生き返りましたかね。」
女は一人、そっと呟く。
表情も心も全てが死んだ様に思えた少年が、ようやく生きた顔を見せたのだ。それがたまらなく嬉しかった。
「さーて、明日からまた少し忙しくなりそうですね。」
そう呟いて、女は部屋の明かりを消した。

| 小話 | 01:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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英雄。8

「…。」
かちゃ、かちゃと食器同士がぶつかり合う、ある種の心地良さを感じる音がその空間には満ちていた。
周囲には談笑しあい、今日は何をするかを仲間内同士で話し合う者、新聞を読み、昨日の情報を頭に仕入れる者、ぼんやりと外を見つめ一人の世界に入り込む者。
過ごし方は、人それぞれだ。行動も、考えている事も皆、まったく違う。
「どうかしましたか?温かい内に食べないと、不味くなってしまいますよ?」
「…。」
視線を向けること無く、女はリーンにそう告げる。
不貞腐れた様にムスっとしているリーンの前にはサラダにパン、スープそれから目玉焼きとハムが並んだ皿達。
簡素な物であったが、実に朝食らしい朝食…が、まったく手を付けられていない状態で置かれていた。
―こいつ、何を考えている?
女の腰に提げられている自分の剣を見つめ、リーンは思考する。
人から剣を奪って置き、かと言って、自分から逃走するような事もせず…
それどころか、返して欲しいなら取り返して見せよと言ってのけ…あろう事か、自分にこうして朝食まで提供している。
行動に一貫性がまるで無く、何を考えているかまるで解らない。
―まぁ、だが相手の考えはこの際どうでもいい。
大事なのは相手は自分から逃げようとはしない、という事。
つまり、相手の行動に常に目を光らせていれば、取り返すチャンスは必ずある。
だからこうして、先ほどから食事に一切手を付けずに睨み続けているのだが…
「ふむ。このサラダはなかなか美味しいですね。ドレッシングの味が好みです。」
女は全く気にする素振りも見せず、ただただ食事を口に運んでいる。
眼に力を入れ続けるのに、少しばかり疲れと…意にも介さない女の様子に若干馬鹿馬鹿しさを感じ、リーンは半ばヤケクソにスープを胃に流し込んだ。
「おい、聞いたか?今朝方、近くの森で死体が発見されたらしいぞ。」
「げ、マジか。物騒なモンだなぁ…」
ふい、に後ろの席に座っていた男2人の会話がリーンの耳に入った。
聞いた所で、自分には関係の無い話…ではあったが、この距離ではその会話の内容はいやでも耳に入ってくる。
「でもそれがよぉ、その殺された人間ってのはあのマグス盗賊団のキルラなんだってよ!」
「またか…あの盗賊団、もう数人しか残っていないんじゃないか?先日も幹部クラスの人間が一人殺られてたしなぁ…よっぽど恨みのある人間がやってんだろうなぁ…まぁ、自業自得と言えばそうだがこうなると、ちっとばかし同情するな。」
「でも、一体どんな奴がやってんだろうなぁ!あのマグス盗賊団の幹部連中を殺っちまう奴だぜ?きっととんでもなく腕の立つ人間に違いねぇよ!」
(マグス盗賊団…?キルラ…?聞いた事が無いな…)
二人の会話を聞いている分には、それなりに名が知れ渡っている盗賊団のようだが…どれだけ記憶の糸を手繰り寄せてもリーンはその名を聞いた覚えがまるで無かった。
「この後ですが…」
聞こえ始めたら、なんとなく気になってしまいいつの間にかそっちの聞き耳を立てる事に気が回っていたリーンは、ふいに前方から掛けられた言葉でハっとする。
女を見ると、食事をちょうど終えたようで、テーブルに置かれていたナフキンで口を小さく拭いていた。そんな女の様子に、どうしてだか挑発されている様にリーンは感じてしまい、再び女を睨み付けた。それを見て、女は少し苦笑して見せた。
「私は部屋に戻って仕度をしてきます。そうですね…30分。30分程経ちましたら私は、ここを出ます。」
それだけ告げて女は立ち上がった。リーンも後を追おうと同じく立ち上がろうとしたが、女が手を伸ばしそれを制す。
「これから向かう場所はそれなり険しい場所です。着いて来る意志があるなら食事は全てしっかり食べなさい。心配せずとも、この宿屋の出口はそこの扉以外にはありません。」
そう言って、女はすぐ近くの扉を指差して見せた。今の位置から距離は2m程度しか無い、本当に目と鼻の先の位置にある扉だった。
つまり自分を追いたいのならば、そこの扉を見張っているだけで十分。彼女はそう言いたいのだろう。
「盗人を信用できると思っているのか。お前が部屋の窓でも打ち破って外に出ない保障が何処にある?」
「盗人であるのは事実ですが…私が躊躇無く、そんな騒ぎを起こせる人間なのでしたら、きっと私は貴方をこの場で少々暴力的に眠らせて、とっくに逃げ果せている事でしょう。」
人から物を盗んでおきながら、この女は人に迷惑をかける事、社会のルールに反する事を行う事を良しとしていないらしい。それは、昨晩と今朝の事でよく解っている。
それに、さっきまでは感情のままに暴れそうになっていたリーンだったが、少し落ち着いた今、むやみやたらに騒ぎを起こさずとも取り返す方法があるならその手段を取りたいと思う気持ちもあった。
この女の思惑通りに事が進むのは癪だが…きっとこの女は嘘は付かない。リーンは、なんとなくであるが、それを確信していた。
「では、30分後に。あぁ、ですが着いて来ると解った以上、貴方が食べ終わるまで待っているつもりですから、食事はゆっくり取ってもらっても構いませんよ。」
そう告げて、女は背を向けて食堂を後にした。
相変わらず、余裕たっぷりに告げてくる言葉にリーンは腹立たしさを感じたが…そこで、ふいに腹の虫が大きく鳴き始めた。
「クソッ…。」
すっかり冷め切った朝食を口に運び、リーンはブツブツと悪態を吐きながら食べ続けた。
美味、とは言える物では無かったが、胃袋が満たされていく感覚は、何処か心地良いものがあった。

彼女が部屋に戻ってから、リーンはものの数分程度で食事を全て平らげた。
特に準備するような物も何も無い、唯一の持ち物はあの女が持っている。それ故に、リーンは部屋には戻らず宿屋の出入口付近の壁に持たれて、女が現れるのを待つ事にした。
つい先刻に大声を張り上げたという事と、ぼろぼろ身なりが酷く目立つのだろう、行き交う人々が自分の方をチラリと見るなりヒソヒソと何かを口にしているのが解る。
そんな奇異の目に晒される事はリーンにとって屈辱でしかなかったが、それらを見えない振り、聞こえない振りをして女をただ待つ。
やがて、階段の方から足音が聞こえ待ち人は姿を現した、女はリーンの姿を視認すると少し柔らかい笑みを浮かべ待っててくれと、言うように手の平をこちらに向けてみせた。
女は食堂のカウンターの前に立ち、店の人間を呼び出して2、3言の用件と軽い談笑(数回程度リーンの方へと視線を向けていた為、恐らく内容はリーンに関する事だと思われる)を交じわし、包みを2つ受け取ってそれを鞄の中に入れた。
そこまでの行動を済ませて、女はようやくリーンの方へと歩いてきた。
「そんなに焦らなくても良かったですのに…お待たせして申し訳ありませんね。」
「…。」
申し訳無さそうにそう言ってみせる彼女をリーンは無言で睨み付ける。
「さて、これ以上お待たせするのも申し訳無いですし…行きましょうか。」
女はそう告げて、扉を開けた。

差し込む強い日差しに思わず目を細めた。
目が慣れた所で、少し辺りを見回す…見覚えが無い場所だ。
ここの周辺にあるのは自分が泊まったであろう宿屋を含めて立っている建物は2、3件ほどのみ。
それらが、恐らく魔物避けであろう柵で囲われている程度の規模だ。多少の囲いに多少のゆとりは持たせているとはいえ、人が住むには聊か狭すぎる。
だから、ここを'村'と呼んでいいのかどうかリーンは少し迷った。
「あそこの門を抜けて、少し行った所に森の入り口があります。」
リーンの隣に立った女がそう言って指を差した。
ちょうど今、自分たち以外の人間が、門から外へと出て行ったのが見える。
「その森を抜けた先にある'ヘネシス'という町が私の目的地です。…あぁ、それから森の中を通るルートは少し旧い道でしてね。魔物の危険もありますし、今じゃそこを使う人間は滅多にいないでしょう。」
わざとらしく女はそう言って、歩き出した。どうやら、掴み掛かってくるのであるならばそこに入ってからにしろ、という事の様だ。
やはり癪に障るが、ここは我慢してリーンも女の後ろをピタリとくっ付いて歩いた。
女の腰に掛けられている剣は二つ。一つは女自身が元々持っている剣なのだろう。そしてもう一つが…自分の剣。
無防備に揺れる自分の剣に手を伸ばしたくなるが…リーンはそれをグっと押さえ込んだ。心配せずとも、取り返すチャンスはこれから山ほどある。
そう言い聞かせて、リーン達は門を抜けていった。

鬱蒼とした森への入り口が目の前にあった。
確かに、ここに入ろうとする人間はいないだろうとリーンは納得した。
現に、先ほどの門を抜けてから何人かの人間とすれ違ったが誰も彼もがリーン達とは別方向に足を向けていたのだから。
「さ、行きましょうか。ここから先は魔物が出る危険もあります。剣を取り返すのもいいですが…先ずは、自身の安全を優先して下さい。」
「…。」
いいから黙って行け、とリーンは目でそう告げた。
女は少し肩を竦めると、少し気を張って森へ1歩踏み出し…踏み出した瞬間、ふわりと軽く横に飛んだ。
「ぐえっ!」
続けてそんな情けの無い声が響く。女の足元には体勢を崩し無様に倒れこんだリーンの姿があった。
(く、くそっ…)
不意打ちを掛けたつもりだったが読まれていた。そしてあろうことか無様に倒れこんでしまった。
羞恥に顔が赤くなっていくのが解る。そして次に聞こえてきたのは…
「あははははははは!!」
と、全く遠慮の無い笑い声だった。
「…。」
土を払いながら立ち上がり、リーンは何も言わず、否、言えず女を睨み付ける。
だが、顔に土が付き、あまつさえ赤みを帯びているそれは却って滑稽に見えた。
「さ、行きましょう。捕まえて御覧なさい?」
悪戯っ子の様な笑みを浮かべて女は楽しそうにスキップをするかのように歩き始めた。
「笑うな!!」
絶えかねてリーンはそう叫び、早足で女の後を追った。

「ハァ…ハァ…」
森に入って1時間ほど経過した辺りだろうか。隙を突いて、間髪入れずに、怒涛の勢いで、静かに、ありとあらゆる方法で女から剣を取り替えそうとしたリーンだったが、どれもこれも上手くいくことは無かった。
ただでさえ悪道を歩いているのに、そんな事をしていたら当然体力の消耗は尋常な物では無い。
「ハァ…クソッ。」
現に、こうしてリーンは歩く事すらできないぐらいすっかり体力を消耗し切っていた。
膝に手をつき、ハァハァと犬の様に荒く呼吸をする事しかできない。こうしている余裕なんて無いはずなのに体が動かない。
「大丈夫ですか?」
そこに、声が掛けられた。
顔を上げると、少し先に進んでいた筈の女の姿が見えた。
どうやらリーンの様子を見て、わざわざこっちまで戻ってきたらしい。
「うるさい…。」
荒い呼吸の合間を縫って、なんとかそう言えたがすぐにまたリーンの口は呼吸をする事に専念を始めた。
盗人に心配される事も屈辱であったが…それより何より、間違いなくリーン以上に激しい動きを要求されている筈のこの女が、呼吸を崩さず、涼しい顔をしている事にリーンは情けなさ様な物を感じていたからだ。
「無理はいけません。少し休ん…!」
ふっ、と女の言葉がそこで途切れた。
疑問に思い、再び女の顔を見ると女は何かを探すように、聞くように、周囲を警戒している。
その視線にリーンの姿は無い。
「…!」
これはチャンスだ。今ならきっと、取れる!
そう思い、自身の剣に手を伸ばした瞬間…リーンの体は勢いよく宙へと舞っていた。
「ごあっ…!」
木に思い切り叩きつけられ、苦悶の声を上げる。
叩き付けられた背と、腰の辺りがじりじりと痛む。
(何だ…?何をされた…?)
チャンスだと思い剣に手を伸ばしたら…そう、急に腰が痛くなって…勢いよく体が飛んで…
そこまで考え、ようやくリーンは自分が思いっきり蹴り飛ばされたのだと、自覚した。
そう自覚した瞬間、リーンの中に怒りが込みあがってきた。
「何をす…る…?」
女の方を見ると、女は何かと戦っていた。
獣の形をした其れに見覚えは無い…だが、アレがなんと呼ばれているのかは解る。魔物だ。
この一瞬の間に囲まれていた。数は5匹、飢えているのか、どの魔物も口から多すぎるほどの唾液を地面に撒き散らし、歪んだ口元は狂喜を浮かべている様にも見える。
5匹の内の1匹。丁度、女の背後にいた魔物が飛び掛った。獣型の魔物なだけあってその速度はリーン以上に速い。
「危なっ…!」
気付けば、そう声に出していた。
女は…少し柔らかく微笑んでいる様に見えた。まるで「心配するな」と此方に向かって言っている様に。
そして、女は振り返ると同時に抜刀し、一瞬の飛び掛った獣を寸胴斬りして見せた。

| 小話 | 20:11 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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英雄。7

―雨。
雨が降っていた。
その冷たい雫は、容赦無く頬を濡らし、こそばゆく伝っていく。
空は一点の青も無く、重い灰色が広がっていた。
(…。)
気が付けば、自分はここに倒れていた。
ここが何処かも解らない…もはや興味も無い。
何もかもが、もうどうでもよかった。自分は、もう生きている価値すら無いのだから。
酷く、眠い。
このまま、意識を手放せば死が訪れるのだろうか?
そんな'ありえない'希望を、やや胸に抱く。
まぁ、どちらでもいい。死のうが、死ねまいが、もう動く気力は残っていないのだから。
がさり。
ふいに、そんな小さな音が聞こえた。
そして、次に感じるのは…視線。
それも一人や二人の物では無い。…それ以前にこれは、人間の物ですら無い。
ぐるる、という唸り声が近くで聞こえて、自分の状況を察する。
(…魔物か。)
どうやら、かなりの数に囲まれているようだ。
だが、それでも男は首を捻って状況を確認しようとすらしなかった。
(…自分の身体は食い物としては、さぞかし打って付けだろうな。)
このまま、魔物の肉として永遠を生き続けるのも…悪く無い。いや、それが自分にはお似合いだ。
(そうすれば…皆、僕を赦してくれるだろうか?)
そう考えて、男は…リーン=ファレンスは今度こそ意識を手放そうと、ゆっくりと目を閉じた。

痛みより、先に生暖かい血飛沫が自分を襲った。
絶望は感覚すら狂わせるのか、と人事の様に彼は思う。
だが次に、聞こえてきたのは、悲痛が入り混じった獣の唸り声。どう聞いても、喜び勇んで餌に食らい付く声とは違う。
顔を動かさないまま目を開くと、視界の端で金属が踊っているのが見えた。
鋭く、空気を裂く音が聞こえた瞬間に獣の断末魔が聞こえてくる事から、誰かが戦っているのだとぼんやりと理解した。
やがて、その誰かが魔物を全て倒したのか、はたまた戦意を喪失して逃亡したのか、どちらかは解らなかったが辺りに静寂が訪れた。
しかしその静寂も長くは続かない。ぴちゃり、ぴちゃりとへばりつくような足音が此方に向かって来た。
「…大丈夫ですか?」
仰向けに倒れる自分を覗き込んで来たのは、透き通った青色の長い髪を持つ、女性だった。

「こんな所で寝ていては危ないですよ。」
顔に笑みを浮かべながら、女性は手を差し伸べてきた。
だが、リーンは視線の向きを一切変えず、空を見たままぼんやりと答える。
「…放って置いてくれ。」
自分に、構わないでくれ。
助けた相手から、こんな反応が返ってくるのは想定外だったのだろう。
女性は少し驚いた様な顔をして見せた後、すぐに困った様な顔になり、頬を掻いた。
「ですが…このままここで寝ていると貴方、死にますよ?」
'死'。
それは今のリーンにとって願っても無い事だ。
ここで倒れているだけで救いが訪れるのならば幾らでも寝ていよう。
リーン、小馬鹿にするように鼻を小さく鳴らす。
「…別にいい。」
そう答えて、再びこの場に静寂が訪れる。
女性は「そうですか…」と小さく呟いた後、ため息を付き…リーンの視界が大きく揺れた。
何が起きたのか理解できたなかった。だが、自分が顔の向きが横になっているのと、鋭い痛みが頬にあるのを感じて、自分が叩かれたのだとすぐに解った。
「子供の分際で、自分の命を粗末にするもんじゃありませんよ。」
そう言われたかと思うと、リーンの身体が浮いた。
姫君を抱くような形で、自分を身体を持ち上げられている。しかし、だらんと力なく下げられたリーンの腕のせいで、どちらかというと死体を運んでいる様に見えるのだが。
「離せ…」
言葉で抵抗して見せるが、身体は動かない。
「離しません。このまま安全な所へ向かいます。」
「―。」
暴言の一つでも吐こうと思ったが、それは言葉にはならなかった。
あぁ、そういえば自分は眠かったのだったか。
それを思い出してから、意識が離れるまで時間はかからなかった。

―この狂王めが!!
違う、僕は。
―君は、この国をどうするつもりだい?亡き父上と母上が積み上げた栄華を全て壊したいのか?
違う、違う、違うんだ。
―殺せ、奴を殺せ。
僕は…僕は!!

「ッ!!」
飛び起きる。
全身に汗がべっとりと張り付いており、尋常では無い不快感がリーンを襲う。
だが、先刻まで見ていた悪夢に比べたらこの不快感など、比べるにも値しない。
少し、呼吸を落ち着けてリーンは自身の周囲を少し見渡す。
自分は小さな一室の中におり、ベッドの上に寝かされており、この部屋の内装は小奇麗だがどこか殺風景な物であり…
そこまで、見て恐らくここは宿屋の一室か何かだろう、とリーンは判断した。
はぁ、と少し大きく息を吐き、リーンはおもむろにベッドから立ち上がる。
―長居は無用だ。
別に、行く当てがある訳では無い。
だが、リーンは「自分自身が安全な場所にいる」と言う事が、我慢できなかった。
リーンは、死ぬ事ができない。死に至る傷を負っても、この身に宿る'国宝'がそれを許そうとはしない。
神が与えた、力。奇跡。そう思えていたのは少し前までの話だ。今は、この身に宿る'国宝'が呪いとしか思えない。
だが…例えこの身に、終焉は訪れないとしても、死に続ける事はできるだろう。
―それが、贖罪になるなら甘んじて受ける。
心臓の付近に、不自然に開いている服の穴を掴み、リーンは部屋から抜け出した。

「…何処に行かれるつもりですか?」
部屋を出て、廊下を歩いている最中、後ろから不意に声を掛けられた。
やはり、この女が自分をここに連れてきたのか、とリーンは連れてこられた事と、見つかってしまった事に舌打ちをした。
「お前には関係無い。」
振り返る事もせず、突き放すようにリーンはそう言った。
「死にに行くつもりですか?」
淡々と女はそう口にする。
リーンは、否定も肯定もせず歩き始めた。
その行動を肯定の意、と受け取ったのか彼女は「そうですか。」と、ため息交じりに答え。
「じゃ、死ぬのでしたら?'コレ'、貰っても構いませんよね?」
…?
何の事だ?言葉の意味が流石に気になったリーンは立ち止まり、ようやく振り返って見せた。
やや、目を細めて小馬鹿にしているようにも見える表情をしている女が手に持っているのは、一振りの剣。
派手な物では無く、美しさは無いが、逆に言えば一切の無駄が無い、違った意味での美しさを感じる事ができる物だ。
あぁ、この剣を自分はよく知っている。
何故なら、あれはリーンの父親の形…見!?
そう気付いた瞬間、リーンは即座に腰に手を添え、目をやった。手に感触は何も無く、目に移るのは自分の腰周りと、床の一部分のみ。
―この女…!!
「返せ!!!!!!!」
そう怒声を上げ、リーンは女に向かって飛び掛る。
女は、やや口角を上げ少し身体を横にずらし、リーンを避けてみせた。
避けられたリーンは間髪いれず、床を蹴り体を180度回し、背後から再度飛び掛る。
しかし、それもまた同じ様に、また体をずらし避けられ…今度は両腕を捕まれ、そのまま後ろで組まれ体を壁に叩きつけられた。
「ぐっ…」
壁に叩き付けれた痛みと、間接を極められている痛みに苦悶の声を上げる。
『うるさいぞ!!!!!!』
叩きつけられている壁からそんな声が聞こえる。
「申し訳無い。すぐに済みますので。」
その声の主に対してだろう、女は少し大きな声で返した。
「この剣、どうやら余程大事な物のようですね。」
右手1本でリーンを押さえつけながら、左手に持った剣を眺め、女はそう言う。
この剣は、リーンの父親、つまり先代の王の形見。
狂王と叫ばれた自身には、持つ資格は無いのかもしれない…だが、何処の誰かが解らない馬の骨に明け渡すつもりも毛頭無い。
「これを返して欲しければ、私から奪い返して見せなさい。」
言われるまでも無く、そうするつもりだ。
だが、どれだけ自分が力を込めても、拘束からは抜け出す事ができない。
本当に、女なのかと問い詰めたくなるほどの馬鹿力にただただリーンは蹂躙されていた。
「…ですが、ここでは周りの方達に迷惑が掛かる。私に飛び掛るのも、殺しに掛かるのも、もっと人目が付かない場所にしなさい。お互いの為にも、ね。」
頭に血が上りきっているリーンは、言われた意味が理解できなかった。
ただ、感じた事は「盗人の分際で何をほざくか。」という事だけだ。
ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせかけたいが、顔を叩き付けられて、口の形を上手く変える事ができない今、それは「もがもが」という間抜けな声にしかならなかった。
「私は貴方の前から無断でいなくなる事は無い、と約束しましょう。貴方がこの剣をもう一度手にする可能性が無くなるのは貴方自身が私から離れた時だけ、と。だから今日は部屋に戻って休みなさい。」
そこで、ほんの一瞬、リーンの力が女の力をやや上回る。
即座に顔を滑らせるようにずらし、言葉を発することができる位置になんとか持っていく。
「ふざけ…!!」
と、声を出した瞬間に首に衝撃が走る。
それ以上声も出せず、それ以前に息をする事もリーンはままならなくなった。
声にならない恨み言を頭の中でぐるぐるさせながら、リーンの意識はまたしてもまどろみの中へと入り込んでいった。

「ん…。」
眩しい光を、感じリーンは、ぼんやりと目開いた。
小さな窓から外を見る。地面には、小さな泉のような水溜りがいくつもできていたが、空は澄み渡っており正に、快晴と言ってもいい天気だ。
しかし、リーンはすぐにハッ、としてベッドから飛び出した。腰に剣は…やはり無い。
昨日の出来事は、やはり夢では無い。それが解るが否やリーンは小さな空間を動き回るには不適切な速度で飛び出した。
廊下を駆け抜け、階段をバタバタと大きな音を立てて下りる。
階段の下は食堂に繋がっており、そのただならぬ足音に食事をしていた客の何人かが、リーンに顔を向けた。
「何処だ!!何処にいる!?」
リーンは叫ぶ。
すでにリーンの方へ顔を向けていた人間も、向けていなかった人間も、リーンに向ける視線が'正常でない物を見る'物へと変化していった。
そんな視線の変化も意に止めず、リーンは周囲を見渡す。
何処を見ても、あの女の姿が見えない。
―逃げられた!!!
怒りの任せて、拳を壁に叩き付ける…前に、リーンの後頭部に、ぺちりと小さな衝撃が走った。
「お騒がせしてすみません。ちょっと頭の弱い子でして。」
そう言って、声の主は今度はぐりぐりと、リーンの頭を強引に撫で回す。
リーンはそれを振り払い、振り返るが否や叫ぶ。
「お前、ふざけるな!!!さっさと僕の剣を、むぐぬぉ…」
口に蓋がされる。
柔和な笑みを浮かべながら、またしても女は「すみません、すみません。」と周囲の客に頭を下げた。
そして、ちゃっかり腰に提げてあるリーンの剣を軽く手で叩いて見せ、顔を耳元に近づけた。
「私が逃げようと思えば、昨日の夜の内にでも逃げれたというのはお分かりでしょう?約束は絶対に破りません。ですので、暴れる場所は考えてください。ここでは他の人に迷惑がかかります。」
そう言って、女は周囲を見渡す様に目を動かした。
釣られてリーンも後ろを見る…今も尚、何人かの人間が不審な目を此方に向けている。
「…お前がそれを僕に返せば解決する話だ。」
流石に、多少の羞恥芯を感じ声量を落とし、リーンは至極正論を言う。
それに対して、女は「まぁまぁまぁまぁ。」と爽やかな笑みで返した。
「まずは朝食にしましょう。腹が減ってはなんとやら、です。」
空いてるテーブルを指差して、女はそう言ってみせ、歩き始めた。
あまりの話の通じなさに、リーンはポカんとした表情を見せたが、慌てて後を追う。
追いついた所で…多少周りを気にしたのか、小さな動きで自分の剣に手を伸ばす。
その手は、即座にはね退けられ、額の辺りに小さな衝撃が走った。
女は、ニヤニヤと笑っていた。

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